ひとりごと

何度か聞いたことだが、宇宙の星を見てみろと言われた。何億光年という距離を思えば、人の悩みなんてちっぽけなものだろうという話であった。

他にはどんなことを話してもらっただろう。
資本主義だから、経済格差も、それによる差別もあるものだよとも言われた。他の差別だってそう。そしてそれは、私の生きている間には変わらないだろうとも言われた。


さて、それを聞いて私は何を思っただろう。
宇宙と比べようもないだろうなどと思った。そんな途方もないものと比べるなんて、よく理解はできない。今よりも悩んでいた頃、よく見かけた言葉だが、今もよく理解できていない。
それでも、その言葉の意味するところを考える。ほんの少しばかり考えてみる。すると、人が何に価値を感じるかは、所詮は、人が決めることで、他人のそれに振り回されることはないとも思った。

差別はあるものだと、その言葉は、世間の冷たさを今までとは違う形で感じさせてくれた。少し寒気がした。いろんな人が活動する中でも、どうしようもないことなのだと、改めて突きつけられたようで、背筋にひやりとしたものが通った。
そして、それに絶望しない姿を、話をしてくれたその人は、今日、少しだけ見せてくれたのだと思う。

その一方で、私は、世間の冷たさに絶望しているのだろう。悔しさとか悲しさとか苦しさに、心底参っているんだと思う。そうでなければ、ひやりとしたものが背筋を這うわけがない。恐ろしさを感じているのだ。

それに対して、あの人の、なんと力強いことか。
柔らかい人柄の中に力強さを感じたのは初めてかもしれない。今まで出会わなかったのか、感じる余裕もなかったのか、とにかく初めてだ。
拒むとか弾くといったように思われる人はいたが、あのように柔らかくしなやかでありつつ、強さを感じたのは初めてだ。

あれがしたたかさというものなのだろう。人に振り回されないとか惑わされないとかいうようなことなのだろう。そうあるものは仕方がないという諦めを感じた。それでありながら、それを踏まえて一歩を踏む覚悟というものを感じた。
下手な理想など持たず、現実とはかくあるものと受け入れているのを感じた。

私にはできていないことで、うまく飲み込めず、言葉を返すことが出来なかった。社会への不満はたまりにたまっている。思いっきり反発したい。がらっと変わってしまえばいいのにと思っているし、それに執着しているからだろう。不満が心の拠り所のようになっていて、ふくれた膿のようだ。


努力して地位を得た人は立派だ。それを理由にして、人を見下す人が嫌いだ。しかし、なんでだろうか、人はそれが好きらしい。自分の積み重ねたものを誇るために、挫折した人やうまく行っていない人を見下すことが好きらしい。
もちろん、そんな人ばかりではない。それは分かっている。分かっているけれど、目がいってしまうくらいに、そういう人が嫌いなのだ。
そんな嫌いなものを、無防備に受けたくないので、そういう偏見で人を見ている。見下される側であるのがわかっているから、恐ろしいのだ。それを避けたくて、人を恐ろしいものとして見て、避けようと考えるのだ。


あの人には、そういう人嫌いだとか世の中に嫌な思いを抱いていることを、見透かされていたように思う。
そして、それに向き合って、言葉を返してくれたのだ。

それを感じたのも、きっと、私には初めてのことだったのだろう。


価値とは人が決めるもの。
それは自分でもあるし、他人でもある。それぞれがそれぞれにとっての価値を決める。だからこそ、他人の評価を基準とするのはばからしいことと言われる。どうしようもないことなのだ。それぞれに勝手に決めていることなのだから。

人との関わりはどうしようもないことばかりだ。言葉があっても、伝えることも受け取ることも、どこか不都合がついて回る。分からないこともあるし、分かっても分かりたくないこともある。

そんな不都合を噛み締めて生きてきた強さみたいなものを、今日、人から初めて感じた。

そんな話である。