ひとりごと

友達を失った話をしよう。

失ったと言っても、そのほとんどは、愛想を尽かされて離れていった。失ったというと、少し語弊があるかもしれない。

何人かとの別れが印象に強く残っている。そのどれもが嫌な気分にさせる。

まずは、フリーターという立場にいることを、大変にけなされた上で別れた友人の話をしよう。
これは落ち込んだときなどによく思い出される。もう二度と会うこともないだろうに、未だに思い出される。

その人は、努力の甲斐あって、素晴らしい社会的地位を得た。それもあってか、私のフリーターという立場を大変に不愉快だと言っていた。私自身何を思ったのか、旧友の集まりに参加してしまったことで、そんなことを言われた。なぜ参加したのか、それが間違いだったと、今にしてみれば思うところだ。
その人からは、同じ空間にいることも恥ずかしいだとか、即刻帰らせるところではあるが、仕方ないから居させてやろうとか言われた。終始、上から物を言う態度であった。
それはそうもなるだろうというくらいの社会的地位のある仕事をしていたので、そんなものだろうと思うしかなかった。
自分なりに精一杯やっていても、フリーターなぞ何もしていないと同じだの言われたのは悔しかったが、何を言っても虚しくなるだろうことは思っていたので、そうだろうねと生返事をするばかりであった。
そして、それ以後は会うことも話すこともなく、まるっきり縁は切れたようである。

また、別の友人には、社会的地位はそれほどのものではなく、借金などに苦しんでいる友人もいた。その人は、何度か連絡を取ったりしていたが、いざというときに助けにならなかったという理由で、縁を切られた。
確かに何も出来なかったし、いざ近いところに居たとしても、何もしなかっただろうから、当然だろうとは思う。
別れ際には、散々嫌いであったということを伝えられた。その点は、少々頭にきたところもあったが、そこまで言われれば、きっぱりと縁を失う気持ちになれたというもので、後悔などはなかった。

他にも数名、環境が変わるにつれて、何も話すことはなくなった。

いずれにしても、学生時代に友人を作れという言葉の通りに、なんとか作っていた友人であったが、役に立つ立たないという基準であっさりと切られるものなのだと痛感した。

他の離れていった友人も大概そんなところが理由である。周りは大変に優秀だったようで、大したことも出来ない奴とは話す価値などないという人ばかりであった。


先に話したことと、違う理由で別れた人もいる。もっとも、私が違う理由だと思っているに過ぎないのだが。

その人は、生きるのが辛いという人で、苦難の末、ようやく再就職を果たした。
しかし、一週間ほど経つと、辛いという言葉を残して、あとはぱったりと連絡が来ない。

この場合は、愛想を尽かされたとか、役に立たないというほうが、まだマシに思える。
生きて幸せであることを祈るばかりだ。


年を取るにつれて、人から遠ざかっている気がする。寂しいながらも、どこか孤独を望むところがあるからだろうか。それとも、単に嫌われる質なのだろうか。

それを話す友人もいない。

正直、ひとりで閉じこもっている方が、落ち着くところもある。嫌なことを思い出して落ち込むこともあるが、情報もエゴも何もなく、ぶつかるものがない平穏に、どこか満足しているところもある。

人の中には幸せはないと感じるところもあって、世間一般にいう喜びとされているものを、なんとなく喜びとして共感出来ないところもある。なんとかそれを納得しようともしたが、受け入れることはできない。人間失格といったところだろうか。

これからどう人と関わるのだろう。それを思うと、気が滅入る。人との関わりは、エゴのぶつかり合いでしかないと感じる。そんなものに幸せなど感じない。


引き寄せられる何かに群がる。別の群れを嫌悪する。プライドを振りかざして自己を満たす。自分そのものを受け入れてくれる何かを求める。人の称賛を集めて人を扇動する。

所属の意識と自己満足を求めるのが、人だと思う。

それは自分の思う人の姿。自分そのものを押し付けているだけなのだろうか。