ひとりごと 思考の備忘録

統合失調症について、なんとなく思ったことがあるので、残しておこうと思う。

私は、頭を使いすぎると統合失調症になると思っている。これは経験則の考えであり、調べて確かめてもいないので、思うという言葉を使う。以下に、理論も何もなく、メモ書きみたいなものである。


頭を使うとは、感覚器官から得る情報を処理することである。

そればかりを行っていると、あるとき限界を迎えて、処理が思うように行えなくなる。それが統合失調症だと思っている。スポーツ選手のイップスなどと同じことなのではないかと思う。

感受性が高いとか、繊細であるとかで受ける刺激が多いと、その分、処理の限界に至りやすいのではないか。

私の経験では、突然文字を読む速度が落ちたり、人の顔が認識できないとかいった状態になったことがある。それも、受ける刺激の処理が出来なくなったためであろうと考えている。

経験から言いたいのは、情報の多い社会に向かない性質の人がいるのではないかということである。

不確かな記憶ではあるが、現代人が1日に得る情報量は、とても多く、1500年頃であったか、ある時代と比べると、1年分に相当するとかいう話を聞いたことがある。

インターネットの普及で、触れる情報が増えると共にその更新が早くなり、目まぐるしいとまで言える状態になった。
そんな中で、情報の取捨選択をして、忘却と更新を繰り返すことに脳が疲弊した状態が統合失調症なのではないかと思う。

統合失調症とは、情報処理の限界に挑戦してしまった人たちが疲れきってしまった状態なのではないかと考えている。


鈍感力だとか言う言葉が出てきたのも、脳が刺激を受け続けることに、悪影響があるということが分かってきたからではないだろうか。

周囲の意図を汲むような情報の取り入れ方をしているときりがなく、脳に疲労が溜まるだけなのであろう。
どんな知識に集中するかを主体的に決めることが、統合失調症と呼ばれる状態を回避する方法なのだろうと思う。
情報の波の中では、自分を守るために、情報を無視することも必要なのだと考える。もっとも、その無視する方法に苦悩している方が多いのだろう。これは私を含めてそうなのだと思う。


ところで、統合失調症に加えて、発達障害HSP(ハイリーセンシティブパーソン)なども診断をされている人たちがいるが、それを先天的なものだとすれば、多彩な情報を処理することに向いてない性質の人がいるという可能性があると考えている。

目まぐるしく変化する環境に適応しようと、敏感になるという進化をした結果、変化の多様さとか複雑さに耐えることができず、社会生活に支障をきたすようになったのではないかと思う。


そういった進化を遂げた理由には、日本社会にある同調圧力によって、主張をはっきり言いにくい環境もそのひとつと言えるのではないだろうか。
皆と同じようにというのは、どこか受動的と言える。流行っているものや慣習に合わせるばかりでは、自己の興味や思想を体現する機会に乏しい。そんなコミュニティの中では、どうしても情報に対して受動的にならざるを得ない。
周囲に合わせた情報を敏感に察知することが必要と感じ、高い感受性であったり、多動性であったりといった特徴が現れてきたのではないかと考えている。


情報にあふれた今の社会では、その処理に支障があることは、いくらか劣っているという見方もできるとは思う。
しかし、どんな特徴も、その社会の性質の現れであるし、適応の1つの形ではないだろうか。
色々な特徴があって然るべき生き物が人間らしいと言えるし、社会とは多様な特徴の集まりでもある。
頭から否定して、蔑視することは社会の単一化と、民族浄化というような過激な思想に繋がるものだ。

これまでの戦争や迫害の歴史を踏まえて生まれた個人の尊重という概念を蔑ろにする社会にはなって欲しくないと思う。

以上