ひとりごと


人はそればかりではないけれど、経済活動は、現代社会に必要なこととされている。

社会活動の維持のために、何らかの形で収益は得るものである。それを自らの活動のための道具や環境を揃えるために使うものなのだ。

それが、生きていくための手段であるということだ。

企業と同じように、収益を得ることを手段として、自分の活動を維持、発展させることで、自己実現に向かうものなのである。

そんなことを書いていると、なんとか診断で、最低ランクだったことを思い出す。なんと書いてあったか忘れたけれど、とりあえず意識が低いと書いてあったかな。いや、懐かしい。今も同じだろうか。

さて、自己実現とか社会活動とか言うからには、その目的が必要になる。
収益を手段とするには、それによって達成されるべき目的が必要だ。多くの人が生きていくためということで、収益を手段にしていることだろう。
私にとってそれはなんであろう。
いつもやりたいこともないという私にとって、目的とは何なのであろう。


正直、毎日、穏やかに過ごせればいいと思っている。その穏やかさには、人との関わりはかなり少ないことが、条件のように思う。

人のエゴと感情がやたらに嫌いである。
興味を持って話を聞くなど、こちらの自由に思うが、なんだかそれを強要されるような雰囲気が嫌いだ。
静かに自分を落ち着けて、自分の興味を探求していくことが、私の思う穏やかさなのだ。

人それぞれの主義や主張があるのは分かっているけれど、それをやたらに押し付けてくる人は嫌いだ。今まで会った人は往々にしてそんな人が多かったものだから、人とはそんなものなのだろうと思っている。
そういう思いが、人を敬遠したくなるひとつの理由だ。
「それぞれに思うことがあるのですね」
どうせ、エゴはぶつかるものだ。距離を置いて、ひとつ冷静に認めるくらいでちょうどいいと思っているので、自分の主張に引き込んでこようとする人は大変に面倒くさい。

私には自分の世界と価値観に浸る時間が、とても好ましい。
自分の興味のあることについて調べたり、物語に興じたり、考えたことをまとめることが、私の好きなことなのだ。

それは人に認められるかどうかは、あまり重要ではない。
多少はそういう欲求もあるけれども、何かのきっかけで人の目に触れて、そのうちの誰かに思うところがあれば十分なのだ。多くの人の共感を呼ぶようなものを作り上げようとは、今更思っていない。そんなものは意識して作るものでなく、結果として、そうなったというだけのことと思うからだ。世間への影響を強く持つかどうかなんてことは、その時世の流行り廃りによるところでもあるし、それによって成功だの失敗だの言われて、辛い生き方をしていくことになる世の中は、なんとも不平等で不愉快なものだと感じている。

結局、経済に依存しているところがあって、思想や表現にもお金が関わってくるところに、社会は嫌なものだと感じている。
経済的に豊かでないと、生き方を選べないところが、不愉快だと感じている。
何を始めようにも、お金がなくてはそれも叶わない。それを当たり前としている世の中は、権利も何もあったものではないと感じている。

なんとも厭世的な考え方をしている。
何を言おうと、結局のところ、自分の主張に合わないから否定していると言えばそれまでのこと。
ここでも影響のある立場でないことが、周囲からの否定の材料になってしまう。お金と人望による評価が、その人の価値であるかのような世界観に、心底、嫌悪感を覚えている。

なんとなくやりたいことと言えば、その実は、こんな自分の主張を通したいことなのだ。
それは今の主義にどこか合わないところもあるし、説得して制度を作るには、経験も浅く、論拠にも乏しい。そのために、やりたいと強く願うわけではない。
世の中はどこか間違っていて、それをもっと良くしたいと思うところがあっても、そのための行動は苦難に満ちているだろうし、何をしたらいいかも分からないというところがある。だから、やりたいことには挙がってこないのだ。
ぼんやりと夢を見ているのと同じようなもので、自分がどうにか出来るとは思っていないし、それに関わることもないのだろうと思っている。
せめて、そういう立場にある人を応援するくらいが、精々、自分に合うことだと思っている。そう思いたい。

自分には不釣り合いだと納得したいのだ。

自分と関係ないと思いたいほど、生きづらさのある社会に、まず変わって欲しいと思っている。そうでないと、自分のやりたいことなど、とても実現出来ないように感じている。

経済や障害による差別があることによって、不利益を受けることを、とても不都合だと感じているのだ。

しかし、それを考えると、自分の手でそれを変えることの出来ない無力さに苦しさを覚える。ただ不満を言うだけで何も変えられない自分に悲しさだとか憤りを覚えるのだ。

無力感である。
それが、やりたいことなどないと思う大きな理由だ。
やりたいと思っても、その思いを遂げることは出来ないと思っているのだ。
心に秘めた大きな大きな目的は、他のことなど半ばどうでもいいほど重要なそれは、大きすぎて、自分に遂げられるものでなくて、悲しいのだ。

そんな大きすぎる目的を捨てて、ただ生きていくという選択を出来ない。

なんとも不器用な人間なのだ。

秘めようとするエゴが強くて、人とぶつかってしまう。そんな自分の苦労がめんどくさく思う。だから、人を避けるのだ。

嫌っていることは、案外、自分の中にあることなのかもしれない。

厄介なことだ。