不安を買う

君の不安は、幾らのカネがあれば消えるのかな。

そんな問いかけに何と答えますか。何に使うのだろう。何と交換するのだろう。そんなことを考えますか。旅行ですか。税金ですか。酒ですか。本ですか。家賃ですか。人を雇いますか。誰かと過ごす時間を作りますか。1人きりでいるために使いますか。色々あるでしょう。

実際に、幾らあればいいのだろう。生活費やらを計算してみようか。私は、多分、カネがあろうが今と同じような生活をするだろうと思うので、サラリーマンの生涯収入ほどあれば、葬式が豪華に出来るだろう。もちろんそれは破綻や崩壊などなどが無ければの話。

人の不安を売り買いしてみると、どうなるのだろうか。

不安を売った人は、それでも不安は消えないのだろうか。暮らすためのカネが既にあるなら、何をするだろう。いつも頭の片隅にある悩みがひとつ消えたようであるなら、違うことを悩むのだろうか。

買った方はどうだろうか。とんでもないお金持ちであれば、そのカネは買い主の元に戻るだろうから、その人は何にも感じるものはないのかもしれない。

最近、僕は何かを恐れていて、それが頻繁に夢に出る。2度と戻れない、懐かしいあの日というフレーズが、何かのメロディーにのってリフレインする中、目が覚めて、悲鳴をあげるほどにたまらなく恐ろしい喪失感に満たされているといった具合だ。こういったものも、お金さえ十分にあったら、消えるのだろうか。久しく感じたことのなくて、忘れかけている、清々しい目覚めというものを、また、味わうことができるのだろうか。

ああ、せめて、一年ほどの生活費を貰えたら、しばらくは気持ちよく寝て、気持ちよく起きることができるのだろう。
起きるときに悲鳴をあげるような気持ちにならずに、しばらくのことだろうが、済むのだろう。

こんな気持ちを隠す努力もしなくていいのだろう。